自覚 02


「とにかくさっさと片付けろ。さもないと、本気で夕飯を無しにさせるぞ」
どうせユギのことだから、城下で遊んだ際にしっかりと食べるものは食べているはずである。
それも考慮しながらそんなことを言ったのだが、
「じゃあ、終わったらセトも一緒に食べるんだな?」
「…何故、そうなる?」
「どうせお前のことだ。夕べだって大したものは食ってないんだろ?」
元々セトは小食で、仕事や調べ物などに熱中してしまうと平気で一食や二食は抜いてしまうことがある。とはいえ、仕事に関してはユギにも責任があるはずなのだが ―― そこはあえてスルーしているようだ。
「お前の好きそうな果物を市場で見つけたんだ。夕食のときに出させるから、一緒に食おうぜ!」
まさかそのために朝議もさぼって城下に出向いていたのかとまでは問い質さないが、おそらくはそういうことなのだろう。
それを、どこかこそばゆく思いつつも
「…その手紙の返事が書きあがったら、考えてやらんでもないな」
わざと了とは言わないそんな言い方で応えても、ユギには余程嬉しいらしい。
「よし、絶対だからな!」
途端にやる気が上がったようで、マハードをせかして机の前に座ると、早速山積みの書類に手を伸ばしていた。
そんな様子を見れば、
(全く、どうせならば最初から素直にやっておけばよいものを!)
ついもう一度怒鳴りつけてやろうかとも思うところだが、せっかくやる気になっているということもある。
「では…俺はこちらの書類をアクナディン様に届けに行く。貴様はくれぐれも仕事を怠らぬよう、精々励むがいい。マハードも心して見張っておけ」
そう言い残して、セトは処理の済んだ書類を手に部屋をあとにした。
どれも社交辞令に近い内容ばかりであるから、返事など別に奇をてらう必要もないはずである。
面倒なのはそれぞれに当たり障りのないように送るということであり、また、数も数であるから、かなりの手間隙がかかることは否めない。
そんな厄介ごと ―― 勿論、この仕事自体は本人の役目であるから仕方のないことでもあるのだが ―― を押し付けられて、大人しく受け入れるのはユギの性格ではありえないところだ。
ところが何故かセトに言われると、たとえ目付けのものなど残っていなくても、ユギが仕事をサボることはなかった。
ましてや今回は、一緒に夕飯という条件まで付いている。勿論セトには、たかが夕飯を一緒にというだけで態度が変わるというのが理解しがたいところでもあり ――
「…流石に、王子の扱いは手馴れてますわねぇ、セト」
部屋をあとにして廊下の最初の角を曲がると、そこにはコロコロと楽しそうな微笑みを浮かべているアイシスが待ち構えるように立っていた。
セトが六神官に序せられるまでは、歴代で最も若い神官であり、この王宮 ―― 特に後宮では絶大な権力を持つといわれている女神官である。
このとき、既に現ファラオであるアクナムカノンの正妃 ―― ユギの母 ―― は死去している。
その後、王自身が病に倒れたこともあって、正妃は勿論、妾妃も娶ることはしていないが、後宮自体は存在していた。
次期ファラオとなるユギのためにと、今から様々な準備が進められているという噂もあるが ―― それはセトの与り知らぬ事柄でもある。
「やはり王子のことは貴方にお任せして正解でしたわね」
「フン、貴様らの育て方が甘いのだ。仮にも王子なのだからな。もっと厳しくしつける必要があるのではないか?」
「オホホ…それこそ仮にも王子ですから」
それこそ本来であればセトのように怒鳴り散らすなど、不敬罪に問われても無理ないところのはずである。
だが、怒鳴られるたびに王子が嬉しそうに表情を豊かにするのを見れば、誰もがセトを告発することなどできはしなかった。
そして、
「ところで…少々お時間をいただけますか? 実は王子のご婚儀の話がありまして、そのことでご相談がありますの」
そうアイシスから聞いた瞬間、流石のセトも咄嗟には返事をすることができなかった。



無論ユギとしても仕事など面白くもないところではあるが、今日はセトが夕飯に付き合うというご褒美がついている。
そこは正しく了承を得たわけではないのだが、この状況ならば余程のことがない限り否とも言わないだろうと確信するのは、やはり既に三年の付き合い所以であった。
この三年で、セトのことは何でも知っているつもりだった。
王宮には大勢の人間が詰めているが、その中にあってセトほど頭脳明晰な人間はいない。
しかもあの外見に、あの性格だ。他国の使者など、王家の出かと間違えることも一度や二度ではなった。
それに、流石に公の場では控えて見せるが、決してユギ相手でも見え透いたおべっかなど使うことはなく、それどころか、容赦なくしかりつけてくれる人間など、ユギにとっては生まれて初めてのことだった。
それも、言葉はきついが決してできないことは言わないし、他人に厳しく言う以上に自分にも厳しく律している。
たまにそれが度を越して無茶 ―― 例えば食事抜きで徹夜の仕事か ―― をすることもあるが、そんな時は逆にセトの心配をすることができることが嬉しかった。
他人が何をしようと気にかけることなどなかったはずなのに、何故かセトからは、目が離せない。
勿論下手な労いなど言えばかえって意固地になって更に無茶をするから、そこは絶妙な加減も必要であり、そのあたりはユギの得意とする所でもあった。
まるで火と水のように正反対の人となりであるというのに、これ以上の組み合わせはないかのようにも言われていて、更なるエジプトの繁栄は約束されたようなものでもある。
ところが、
「…おい、なんだよこの手紙。我が娘の紹介状って、女官の申し込みか? アイシス宛の間違いじゃないのか?」
セトが残して行った手紙の束を読み解いていくうちに、そのほとんどが国内外の貴族や王家からの姫君に関する紹介まがいの内容ばかりに気がついた。
自薦他薦の差はあれども、どれも容姿端麗、明朗従順を謳った美辞麗句の詰め合わせのようだ。
生憎そんな内容にはまだ興味のないユギであったが、
「え? ああ、これは、王子のお妃候補のお手紙ですね」
確認のためにと目を通したマハードは、流石にその真意に気が付いていた。
「冗談だろ。俺はまだ15になったばかりだぜ?」
「王子のご身分でしたら、むしろ遅いくらいじゃないんですか? そろそろご結婚はともかく、結納くらいの話はあってもおかしくないものなのではないですか?」
確かに、王族の結婚など政略がらみであることは判っているだが、まさか自分がもうその対象と見られるものとは思いもよらなかった。
しかも、ざっと手紙を見てみれば、上は20歳からというのはまだしも、下にいたっては5歳の幼女まで入っているともなれば、流石に苦笑ではすませられない。
「ちょっと待て。いくらなんだって、こんな子供まで売り込んでくるのかよ? それでも親か?」
「それは、王子は次のファラオとなられる方ですから。その方に嫁ぐということは、次のエジプト王妃ということでしょう。少しでも望みがあればと思われるのは、仕方がないのでは?」
エジプト王家の相続は、本来女系で継承される。だがユギの場合は王位継承権をすでにその身にもっているため、外戚となって権力をと図るものは後を絶たないのだ。
権力に目のくらんだ者にとって、娘を身売りさせるようなことなど何の抵抗もないのだろう。
そんな欲の見え透いた手紙に、気がつかないほどユギも子供ではない。
「…まぁよくも、ここまで飾れるものだな。どうせこの中で、セトより美人なんているはずないぜ」
「それはそうですね。いっそのこと、セトが女性でしたら真っ先に候補になっているところだったかもしれませんね」
そんなことをマハードが口に出した時は、ユギ自身も本当に冗談と思っていたはずだった。






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初出:2008.03.01.