自覚 03


数日後、テーベの都にヌビアからの使者が訪れていた。
表向きは例年通りの朝貢 ―― 主に金を初めとする財貨をエジプトに献上し、その見返りとして同盟国としての安全を約束としていた。
エジプトの黄金細工といえばオリエントでも有名であるが、実際の金の殆どはヌビアを原産としている。
その一方で、ヌビアの方には金山を持ちはすれどそれを精錬する高度な技術には遅れを取る上に、軍事にかけては脆弱といっても良いほどであったため、エジプトとのこの関係は絶対に欠かせないものでもあった。
実際、その辺りの事情はエジプト側も熟知しているため本来であれば属国扱いをしても問題のないところでありながら、あくまでも同盟国としての面目をヌビア側に持たせてもおり、両国の関係は過不足なしというのがここ数年の様相でもあった。
ところが、
「…それは誠か?」
既に早馬の連絡でヌビアからの使者がエジプトに向かっているということは連絡を受けてはいたのだが、その随員の内容を正確に把握したのは、実際に使者がエジプトに到着してからのことであった。
それも、今回の使者にはヌビア王家の第二王女が随行しており、当然のごとくファラオとの謁見を求めている ―― と。
「無碍に断るわけにもいくまいな」
「しかし、あまりに急な話です。此度は急な話ゆえといえば、断るにも問題ないのでは?」
「ですが、ここでファラオ自らが謁見されれば、御健在振りを示すことにもなりますわ。ご威光を知らしめるのは、逆にいい機会かとも思います」
「うむ、確かに。まぁあまり長い時間でなければ大事無いとも思うが…」
「まぁどちらにしろ、全てはファラオの御容態次第でございましょう。ここ数日はお加減もよろしいようではありますが…」
本来であれば事は例年通りの話であるから、ヌビア側の使者とエジプト側の官僚で目録や親書の受け渡しが済めばそれで事足りる話である。
それがその使者がわざわざ第二王女ということは、誰でもその真意を測ることは容易かった。
つまりヌビア側としては第二王女をエジプトへ嫁がせることにより、更なる絆を強めんとしている ―― と。
しかも、現ファラオの正妃は他界している。政略結婚となれば年の差など問題になることでもない上に、エジプトには次のファラオを約束された王子ユギもいる。どちらを嫁ぎ先としてもヌビアには悪い話ではなく、エジプトにとっても表向きは同様であった。
そのため、
「それで…その席に王子にはいかがされます? 失礼ながら、ヌビアの真意がわかりかねぬ状態では、下手に王子にも謁見となりますと良くないのではあるまいかとも思いますが?」
王家や国政に関することの全ては、まずは六神官の間で話し合われるのが常である。今その地位につくものは王弟アクナディンを筆頭としてカリム、シャダ、アイシス、セトの5人だけであるため、オブザーバー的役目としてシモンも出席していた。
この席次では王弟でもあるアクナディンは別格になるが、それ以外では特に定められてはいない。
そのため、最年少でなおかつ六神官の地位についたのが最も遅いセトも、臆することは微塵もなかった。
寧ろ、思うべきことは積極的に発言し、実行するのがその人となりでもあるため、
「何を言うか。エジプトの王子ともあろうものが、ヌビアの王女に何の遠慮がある?」
そうは言ったものの、何故かセトの胸中は複雑であった。
しかも、
「そうだな。王女の年齢は王子と変わらぬと聞く。それならばお相手は王子というほうが考えやすいが…まぁいずれは王子にもご正妃をお勧めせねばならぬことでもある。王子にも御列席を計るべきであるな」
そうアクナディンの言葉でその場が決定すると、セトの不満げな表情を密かに見ていたアイシスが密かにため息をついていたことに、誰も気がつく者はなかった。



無論、ヌビアからの使者が来たことは話に聴いていたが、そのことでユギが咄嗟に思いついたのは政治的なことでは全くなかった。
「心配するな。今日はちゃんと日暮れまでには王宮に戻る」
そう言って手早く城下へ遊びに行く格好 ―― ごく普通な平民の服装に着替えたユギは、止めようとするマハードの忠告など何処吹く風とでもいうように聞き流して、既に王宮の外門前まで来ていた。
「ですから、そういう問題ではないでしょう? またセトに怒られますよ」
「大丈夫だぜ。今日はそんなドジは踏まないって」
「そんな…いつもそう仰ってますが、巧くいった試しなんかないじゃないですかっ!」
「任せろ。今日こそは大丈夫だぜ」
「…全く、どうしてそんな自信があるんです? もう、知りませんからねっ!」
そうは言ってもまさか王子であるユギ一人を城下に行かせることなどできるわけがない。当然のようにマハードも付いて出たが、この日のテーベの都は今まで以上の人並みに溢れていた。
「な、なんで今日はこんなに賑やかなんですか? お祭りでもありましたっけ?」
「いや、ヌビアからの朝貢が着いたらしいからな」
「そういえば、そんなことをシモン様が仰っていましたが…それが、何で…?」
ヌビアとエジプトは友好関係を築いているとはいっても、それは国レベルの話である。両国の間には広い砂漠が横たわってもおり、毎年恒例の朝貢であってもその道中が全く安全とは言いがたかった。
そのため、朝貢の際には両国の警備がどうしても強化されることになる。となれば、一般の商人達もそれに乗じて隊商を組んだほうが安全な道中の確率が上がるというものである。
よって、ヌビアに限らず他国からの朝貢や使者がエジプトへ訪れる際にはそれに前後して多くの隊商もテーベを目指すことになるため、必然的に大きな市が立つことが増えるわけである。
尤も、その混雑に紛れて各国の間者なども潜入するといわれているが、そのようなことを気にするユギではない。
「ヌビアは金の産地だからな。何か良いものがあるんじゃないかと思うぜ?」
「はぁ、いいものですか?」
元々、城下に出ると上機嫌で本当に楽しそうな表情を見せるユギではある。だが、今日のユギはいつも以上にどこか浮かれているようだった。
そして、
「ああ、あそこだ。ちょっと寄ってくるぜ」
「え? あ、お待ちください王子っ!」
どうやら目的の店を見つけたようで、必死になってついてこようとするマハードなど全く関係なく、ユギは人ごみをスルスルと交わして向かってしまった。
そこは、金や銀を使った細工物を取り扱っている店のようで、
「おや、やっぱり来たね、坊や。丁度良かった。この前言っていた物が入ったところだよ」
「そうか。見せてくれ」
せかすようにそう告げれば、商人は苦笑を浮かべながらも店の奥に向かい、戻ってきたときには盆の上に黒い布をかけてもってきていた。
「お前さんの御注文どおりに作らせたつもりだけどね」
そう言って商人が布を外すと、そこには小さな竜をかたどった置物が鎮座していた。
大きさは片手に乗るほどの小さなものであるが、全身は白金で掘り込まれ、その両眼にはサファイアがはめ込まれている。
「どうだい?」
「…ああ、文句ないぜ」
一瞬声にも出せないほどに見とれてしまったユギであり、マハードに至ってはまだ目を見張るばかりである。だが商人の方は手馴れたもので、丁寧に木箱に詰めると
「流石にこれだけのつくりとなると少々値が張るが…まぁ前祝ってことでお安くしておくよ」
そう言いながらも、一般の庶民では破格ともいえる金額を口にした。
無論、王子であるユギにとっては些細な金額である。あっさりと納得して支払いながらも、
「前祝とか言っていたが…何かあるのか?」
そう尋ねると、商人はあっさりと応えた。
「おや、知らないのかい? 何でも王子様の御結婚が決まりそうだっていう話だよ。お相手はヌビアの王女様だっていう話だから、いいお話だってことは間違いないね」






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初出:2008.03.30.