自覚 04


ヌビアの王女の一件は、とりあえず先方が謁見を求めるならば断ることはできないということで話は纏っていた。謁見を認めたところでまさかその席ですぐに結婚云々の話も出ることもないであろうし、まずは顔合わせというつもりなのだろうというのが大半の意見である。
だがそう堂々と顔見世に来るということは、それだけ容貌に自信のあるということの表れでもあろう。
「そういえば、ヌビアの第二王女は中々の美姫と聞きますね。確か、母親はクレタ出身の貴族の出と聞いたことがありますわ」
この時代、物と同様に人間の方も混雑は進んでおり、内陸のヌビアと地中海に浮かぶクレタ島の間でも混血など珍しいことではなかった。
とはいえ、混血はやはり不思議な雰囲気を持つものである。ましてや、元々肉感的な美女の多いヌビアと、洗練されたクレタの血が混じっているともなれば、どれほどの美女かというものでもある。
後宮を取り仕切るアイシスの耳には、エジプト内外の才媛美妃の話が日ごろから集約されている。その中からこれぞと思うものを侍女として召し上げたり、将来の妾妃候補として教育することも後宮の役目ではある。しかし、
「だが、ファラオは王妃様亡き後、御再婚の意志はないと仰せだ。王子もまだ子供。色事よりも遊ぶことの方にしか興味はあるまい」
王弟でもあるアクナディンがそういえば、誰もがそれに否とは応えなかった。
事実、ファラオの病状はここ数年は良くも悪くも無くという状態であり、その英断に翳りはないものの病床からの執務ということが長く続いている。
王子に至っては、相変わらずの気ままぶりであることは言うまでもない。
「だが、仮にも世継の王子。しかも15歳にもなるというのに、今までこのような話がなかったという方が遅すぎるくらいでありましょう」
「いつまでも子供でおられるわけにも参らぬ。そろそろ王子、強いては次期ファラオとしての自覚を持っていただかなくては。まぁ今回の件は、いい機会とも言えるかもしれませんな」
シャダやシモンがそう意見を述べれば、それに否を唱えるものなどいなかった。



神官会議が一応の結論が出たところでお開きとなったため、セトはいつものように王宮に残るアクナディンに挨拶をすると、王宮を後にしていた。
王子付きの側近という役目もあるとはいえ、何も四六時中側にいるわけではない。
寧ろ神官としての責務の方が ―― アクナディンが王宮に詰めることが多いため ―― 多いくらいでもある。そのため、神殿に出向いて神官としての仕事をするところであったのだが、その様子はいつもと異なって、どこか苛立だしさをもっていた。
(アレが結婚とは…笑わせる)
王子であるユギに仕えるようになって、早くも3年目になろうとしている。
ユギは15歳、セトは18歳だ。つまり3歳年下のユギも、丁度セトがテーベに呼び出された頃の年齢になっているということではある。
15歳当時の自分を思い出せば、下エジプトのアブシールからテーベにまで来た頃である。当然、その頃には既に己が何を欲しており、それには何が必要なのかも理解していた。
それを思えば、当時の自分と同じ年齢でありながら、まだまだユギが幼いことを歯痒く思わないわけでもない。
無論、王子という ―― 単純に生きるうえでは恵まれた環境である ―― ことと自分とでは、生き様の違いもあるということは判っている。
しかし、
(正妃を娶り、子を成す ―― だと?)
王子 ―― それも、そう長くは無い将来、ファラオとなることが約束された身であれば、それは望むか望まぬかなどは二の次で、いわば使命にも近い必須事項である。
勿論、政略結婚でもある。そこに、愛情などというものが入る隙間があるかどうかさえ怪しいところでもあろう。
だが、それでも何故かユギの隣に他人が立つということが妙に苛立ただしく思えていることを、セトは自覚していた。
今は王子の側近、学友という立場になっているが、当然、王子がファラオとして即位ともなればその右腕にも目されているのも事実である。
そのことに引け目など考えたことも無く、寧ろ当然のことと思っていた。
それは、例えユギが結婚し、正妃を娶ったとしても変わることではない。正妃にも共同統治者としての地位が約束されるとはいえ、実際に政務を行うわけではない。
国政を動かすことにかけては、ファラオと六神官に約束されているということは言うまでもないことのはずだった。
だが ――
「随分とご機嫌の悪いこと。やはり、王子の御結婚話には御不満ですか?」
そんな揶揄するような声に振り向けば、
「…アイシス」
そこには嫣然と笑みを浮かべたアイシスの姿があった。
「…何故、俺が不満になる?」
「オホホ…何故でしょうね?」
「貴様と禅問答をする気はない」
「でも、そんなにご機嫌が斜めですと、部下の仕事に差支えが出ますわよ」
この女はいつもそうだ。まるでそのしもべスピリアで何もかも見通しているとでも言いたげに、容易く人の内心に入り込み、本人でさえあやふやにしか思わぬことを容易く衝いて来る。
とはいえ、自分でも判らぬ苛立ちを持て余していたセトの耳に、そんな賢しげな声は火に油を注ぐ以上の何者でもなかった。
「貴様の悪ふざけに付き合うほど、俺は暇ではない。用がないならさっさと出て行け」
それでも、苛立つ感情を押し隠してそう言えば、そんなセトの怒気など何処吹く風と受け流したアイシスは涼やかな声でこう告げた。
「あら、用ならありますわよ。シモン様が王子をお探しですの。セトなら王子がどこにおられるか、御存知かと思いまして」
「何故俺が ―― 」
ユギの居場所など、と言い掛けて、その意味するところに気がついた。
この時間であれば、王子は自分の宮で帝王学の一環として各国の情勢を学んでいるか、鍛錬でもしているはずのところである。
だが、それがいないということは ――
(あの馬鹿王子。懲りも無くまた城下に出たということかっ!)
どうやら完全にセトの勘気に触れたらしい。握り締めた拳がわなわなと震え、
「全く、マハードは何をしているっ! それでも王子の目付けかっ!」
「マハードに王子が止められるわけも無いでしょう? 王子が唯一素直にお聞き入れになるのは、貴方だけですから」
「 ―― っ!」
対するアイシスは馴れたもので、あっさりとそういえば、セトはその青い瞳を鋭く光らせた。
別に八つ当たりをしていたわけではないが、気が立ったセトはいつにも増して他人に厳しくなる傾向がある。おかげで、神殿の部下達は些細なミスも恐れて戦々恐々と仕事を行う羽目になっていたのだが、どうやらそれもピークに達したようだ。いつの間にか遠巻きに、逃げ腰で仕事をしているなど気がついてもいないのだろう。
それを見越して
「ここは私が後を見ますわ。セトは王子のお迎えに行ってくださいませ」
「言われるまでもないっ!」
珍しくアイシスに後を任せると、セトは神殿を後にした。
そんなセトをニコニコと微笑みながら見送って、
「それにしても…本当に、セトも素直ではありませんね。それとも、本当に気がついてないのでしょうか?」
そんな意味深なことを呟くアイシスだったが、その声は誰の耳にもまだ届いてはいなかった。






自覚 03 /  自覚 05


初出:2008.05.24.