自覚 05


賑やかな活気に満ちた城下はユギの好きな場所でもあった。
ましてや、ヌビアや近隣諸国からの隊商も入って市には珍しいものが溢れ、おかげで前々から狙っていた品を手に入れることもできたのだ。上機嫌で王宮に戻れるはずだった。
そう、あんな噂など聞かなければ。
「ファラオの御病状は相変わらずだというからね。せめてここで王子が御結婚され、御子様がお生まれになれば、我がエジプトの安泰は約束されたようなものだよ」
そんなことを言いながら品物を箱に詰める商人にどうやって金を払ったのかも覚えていなかったが、気がつけばユギは大事そうにその箱を抱えて大通りを歩いていた。
勿論その商人がユギの正体を知っているわけもなく、ただ街の噂を口にしただけであったのだろう。
だが、
(俺が…結婚? そんなの聞いてないぞっ!)
無論、王族であれば政略結婚の話など珍しいことではない。
しかし、生まれながらに王位継承権を持つユギには婚儀によって王位の地固めをする必要もないところでもあり、また同様にそれによって国家間の安寧を計るなどといった策を弄するほど切羽詰まった話も無かったはずである。
仮にあったとしても、それならばまず当事者であるユギに何らかの話があってからのことである。王子といえども政略にとっては駒でしかないと言われればそれまでだが、あの父王がそのような無体なことをするとは思えなかった。
ましてや、ユギは普通の王子ですらない。
今は鳴りを潜めているとはいえ、伝説の三幻神を操る力を持っているのだ。そんな強大な力を持て余す状態で、結婚などはありえないだろうと思っている。
「そうですよ。私だってあんな話は聞いていません。セトだって何も言ってなかったじゃないですか」
そんなユギの気持ちを察してかそう言ってはくれるが、あくまでもマハードはまだ王子付きの侍従のようなものだ。
セトのように正式に六神官になったわけでもないため、政治のことまで知らされているとは思えなかった。
更に、
「王子の御結婚相手はヌビアの姫君だってな。それも大層な美人だそうじゃないか」
「しかも、もうエジプトにおいでなんだって? このまま後宮に入られるって言う話もあるらしいぞ」
そんな無責任な噂話が否応無く耳に入るのだから、ますます機嫌は悪くなる一方だ。
(こうなったら、王宮に戻ってセトに問いただしてやる!)
そんな決意を秘めて王宮へ戻ろうとした、その時、
「どうやら本気で俺を怒らせたいらしいな」
突然人並みがサッと別れたかと思えば、そこにはユギ以上に不機嫌さを表に出したセトが立っていた。



街中とはいえ、エジプトは砂漠の国である。日中の日差しは容赦なく肌を焼くため、セトは深くフードを被っていた。
だが、その姿を、ユギが見間違えるはずもない。
ましてや、
「貴様…あれほど身分を弁えろと言っておいたはずが…」
流石に天下の往来、しかもあくまでもお忍びということを慮ってか、声こそは低く抑えているが、かなり本気で怒っているのは言うまでもない。
「せ、セト…?」
「しかもこの俺に出迎えに来させるなど、大した度胸ではないかっ!」
いつもならそれこそ不敬も気にせず怒鳴るところであるが、流石に往来ではそうすることもできず。
それだけにかなり苛立っているようで、フードから射殺すかのように睨みつける蒼い瞳が、ナイルの青よりも濃い色でまっすぐにユギだけを見ていた。
王宮で他国の使者などの謁見の席に侍っているときの取り澄ました顔も綺麗だが、こうして怒っているときの顔の方がユギは好きだった。
勿論そんなことを言えば更に怒らせるのは判っているので言いはしないが、それでも、こうして迎えに来てくれたということにまで、つい頬が緩みそうなほどに嬉しく思う。
「よ、よく判ったな、俺がここにいるって」
「ああ、貴様のせいで、アイシスに借りができたわ」
(ああ、スピリアか。でも…)
アイシスのしもべである精霊スピリアには、遠隔透視能力が備わっている。それこそ、単純な物理的距離だけで言えばこのエジプト国内のことなど手に取るように見通せるというほどだ。その能力を持ってすれば、王宮とは目と鼻の先である城下からユギを探すことなど、何の造作もないことだろう。
とはいえ、他人に借りを作るなど持っての他というほどに嫌うはずのセトである。しかもあのアイシスに借りを作ってまで自分を迎えに来てくれたのかと思えば、単純に嬉しいとしか思えなかった。
それこそ、先ほどまでの噂話のことなどすっかり忘れてしまうように。
だから、
「なぁセト。折角お前も城下に来てるんだ。俺が案内するから、ちょっとその辺りを見に行こうぜ!」
何せ城下は物心ついたころから王宮を抜け出しては遊びまわっていた場所である。地元の子供達以上に穴場や抜け道は知っているという自負もあった。
しかし、
「冗談ではない。貴様の遊びになどつきあえるか!」
あっさりと却下すると、そのまま踵を返しつつ、呟いた。
「シモン殿が話があるそうだ。さっさと帰るぞ」
「え、シモンが?」
セトの態度が余りにいい話とは思えなかったので何の用だと聞こうとして、ユギはふと先ほどの噂を思い出した。
シモンであれば父王の側近でもあり、またユギにとっては教育係にもあたる重鎮である。
今までも内政はもとより、王家の私事でも任されることはたびたびあったはずであれば、そういった話を始めるのに適任であることは間違いなかった。
「まさか…あの噂のことか?」
そしてそのためにセトが迎えに来たと思えば、どこか裏切られたような気になるのは何故か?
しかし、
「何を愚図愚図している。貴様…本気で、その首に縄をつけて引きずってくれようか?」
更に機嫌の悪そうなセトの口調に、流石のユギも否とは言えず、
「…判った。王宮に戻る」
そうして、気まずいほどの沈黙とともに城下を後にした。






自覚 04 /  自覚 06


初出:2008.05.24.