自覚 06


王宮へ戻る道がこんなにも長いものだと思ったのは初めてだった。
セトを怒らせることなど、それこそ日常茶飯事といってもいいはず。
だが今日に限っては、どこかいつもと違っていた。
それは恐らく ―― いつものように怒鳴り散らすセトではないから、何故かユギの方までいつものような軽口もいえなくて。こんなに近くにいるのに、今までに感じたことがないほどの距離を思った。
つい先ほどまではあの噂のことを問い詰めようとまで思っていたはずなのに ―― だ。
しかも、
「ここから先は一人で行け」
王宮の内門までくると、セトは立ち止まってそう告げた。
「え? セト…」
「俺は神殿に用がある。貴様の守ばかりはしておれん」
「 ―― っ!」
体力に自信はあるが、同年代の子供と比べてもユギの身長は確かに低い。その一方で、セトの方は細身でありながら抜きん出た長身であるから、こうして並んで歩いていれば確かに子ども扱いされるのも仕方がないだろう。ましてやセトには六神官の一員として、アクナディンの補佐として神殿を預かる者としての責も負っている。
だが、
「ここまで来て、逃げるような真似はするなよ」
更にそう子ども扱いするような口調で言われれば、ユギもムキになって答えていた。
「誰がするか。いくぜ、マハード!」
「は、はい、王子」
慌てて追いかけるマハードを待ちもせずにユギが先に行けば、セトはそれを少しだけ見送ると踵を返して神殿に向かった。
確かにシモンが探しているというからユギを見つけ出してきたのはセトであるが、だからといって素直にシモンの下へ行くユギに、何故か腹が立っていた。
シモンの話というのが、ヌビアの姫君の件だということは判っている。
いや、肝心のユギがこのことを知っているかどうかは怪しいというよりは知らないはずなのだが、それを承知の上でも、ユギが自分から話を聞きに行ったというのが気に入らなかった。
そう仕向けたのが自分であっても、だ。
(アレが結婚だと? フン、笑わせてくれるわ)
15歳の子供に結婚話など、普通に考えれば早すぎるということも事実である。だがこれがエジプト王家の話となれば、寧ろ遅いくらいだ。
父王のアクナムカノン王は、若いころが丁度戦乱の時期でもあり婚期が遅れたということもあったため、結局、生まれた子供は王子はのユギ一人だけである。
そのため、ユギが王位を継承するということには何の問題もないところだが、その次となると途絶えてしまうのが神官団や文官たちが危惧していたことであった。
継承権をもつ者が多く存在すればそれは跡目争いの火種になるものではあるが、全くいないということも同様にいらぬ争いを起こしかねないのが王権の存続には付きまとうものである。しかもそれは国内だけでなく、エジプトを狙う各国の情勢にも関わるのだから、事は慎重を要するのだ。
そういった政治がらみの話であるから、セトにも今回の重大さはよく判っているはずだった。
だが結婚すれば、ユギの個人的なことはまず王妃となった者が ―― もしくは後宮を取り締まるアイシスが取り仕切ることになるだろうということも判っている。
勿論、次期王の右腕として補佐するという立場を譲る気はないが、それだけではどこか物足りない気もするのは否めない。
(フン、馬鹿な。アレの守をしなくて済むようになるというのに、何が不満だというのだ、俺は…?)
そして。
(そういえば…)
ふと、ユギが大事そうに抱え込んでいた箱の中に何が入っているのだろうと、そう思ったセトだった。



一方、勢いで王宮に戻ったユギだったが、待ち構えていたシモンの話を聞いているうちに段々とその熱が冷めてきたことはきちんと自覚していた。
ユギ自身は知らなかったことであるが、ヌビアの姫はかなり華々しくテーベに入ったらしい。無論、輿入れだとかということは一切口にはしていないらしいが、それだけに噂好きな民衆にしてみれば想像力を逞しくするのも仕方のないことであろう。
今回はあくまでも朝貢の使者としてということになっているが、ヌビア国王の親書も持参ということは判っている。当然そこには姫を売り込む詞が謳い込まれているのは想像に容易いことであり、流石にその場で結論を出せということはないだろうが、それでも一度は謁見の場を持つ必要があるだろう。
そんな考えの上で、シモンは
「…とまぁそういうわけですから、明日の謁見の席には王子にもご臨席をお願いいたしますぞ」
そうユギに同席を求めたのだが、
「断るぜ」
「王子?」
「だって、そうだろ? そんな受ける気もない結婚話が出るかもしれないなら、俺がいないほうがいいだろうが?」
そうあっさりと応えたユギは、それだけ言えばあとは話は終わったとでも言うように部屋を出て行こうとした。
しかし、
「ということは、王子はヌビアの姫君との御結婚は断るということですか?」
一応後宮を取り仕切る女官という立場から、同席していたアイシスがそう尋ねた。
それに対して、
「当たり前だぜ」
ユギは即答である。
「まだ肝心の姫君にもお会いもしておられませんのに?」
「その気もないんだ。会う必要もないだろ」
「噂では、とても魅力的な姫君とのことですけど?」
「セトよりも美人なのか?」
その上、咄嗟にそんなことを尋ねられれば、流石にアイシスも言葉に詰まっていた。
「それは…お会いになれば判りますわ」
「生憎、判りたいとは思わないぜ」
全くその気のないユギは、あっさりとそう応えると苦笑を浮かべながら応えた。
「大体、俺と一緒になるって事は、俺のもつ三幻神とも付き合わされるんだぜ? 普通のお姫サマにそれが勤まると思うか?」
そう言われれば、確かに是とは言いがたい。
しかし、
「ですが、王子。今回に限らず、御結婚のことはそろそろお考えにならなくてはなりません。王位を継ぐということは、次への世継ぎも必要ですぞ」
そうシモンが諭すのだが、ユギには端からその気はないらしい。
「だったら、今から俺の後に継げるようなどこぞの遠縁でも探したほうがいいと思うぜ。俺の血を残すより、そのほうが国としては安泰だと思うからな」
「王子!」
「話はこれでいいな。じゃあ、俺は用があるから、行くぜ」
そういいたいことだけ言って出て行ってしまったユギだったが、
「本当に、セトが女の方でしたらよかったのかもしれませんね。絶対に王子のお后候補の1番になってたと思いますよ。あ、このことはセトには内密にしてくださいね。こんなことを言ったとバレたら、私がセトに封印されてしまいます」
マハードがそんなことを言い残してユギの後を追いかけて行ったが、それはシモンもアイシスも同じく考えていたことだった。






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初出:2008.05.24.