自覚 09


その時、ユギが何をしているのか判らなかった。
否、自分が何をされているのかが判らなかった、と言うべきかも知れない。
ただ判っているのは、少なくともその行為についての嫌悪感のようなものは微塵もなかったということ。
そう、少なくとも。「嫌」ではなかった。
触れ合うことも、重なり合うことも ―― 。



それは、時間にすればほんの僅かなものだったのかもしれない。だが、セトにはとてもそんな刹那な時間とは思えなかった。
掴まれた肩が痛い。
押し付けられた背中が痛い。
いや、それ以上に ―― 貪られる唇の感触が、温かくて心地よくて。
そのまま流されるように唇を奪われていたが、ユギが更に深く舌を絡めてきた瞬間、我に返った。その時、入り込んできた舌を反射的に噛んでしまった。
「んっ…ぁ…っ!」
「 ―― っ!」
咄嗟に噛まれた痛みでユギの腕が力を抜けば、その隙を逃さず思い切り突き飛ばして。
セトは、不本意ながらもユギから逃げるように身を翻すと、手の届かない位置で振り返った。
流石に突き飛ばされたユギの方も受身は取れなかったようだ。暫く呆然と尻餅をついたままセトを見上げていたが、何気に腕で口を拭って、甲に付いた血を見てニヤリと笑った。
「酷いな。何も噛むことはないだろう?」
「噛まれるようなことをするからだろうがっ!」
怒鳴りつける声が禊場の天井に響いている。
その反響に、流石にセトの方は拙いと思ったようだが、張本人のユギの方は白々しいまでに余裕の構えだった。
勿論、人払いはしているため、そう簡単に聞かれる話ではないはずでもある。
だが、ユギの赤い瞳にどこかゾクリとさせるような妙な光が灯っていることに気がつけば、このまま二人だけでこの場にいることさえ禁忌のような気がしていた。
だから、
「全く、貴様の悪ふざけには付き合えんわっ!」
そう言って禊場から完全にあがると、手早く身支度を整えていく。
極力ユギの方は見ないようにしているが、そうしていること自体が意識しているということであることには気がついていないようだ。
一方、ユギの方は、
「ふざけてなんかないぜ。俺は本気でお前のことを…」
「それ以上、貴様の話を聞く気はないっ!」
そんなセトの様子を、尻餅をついたままただ見守りっていた。
それこそユギが少しでも動けば、セトはそのまま逃げ出しそうな気さえしていたから。
本気で動揺しているセトは ―― いつもの取り澄ました様子とは比べようのないほどに表情が豊かであったので、もう少し見ていたかったということもある。
「もう…禊は良いのか?」
「貴様が邪魔したのだろうが!」
いつもいつも自分を怒らせるのはユギのせいであるが、今日ほど本気で怒りを感じたのも珍しいくらいで。
そして、それを隠そうとすら思えず怒鳴り散らす自分の未熟さを忌々しく思いながらも、セトにはそれをとめることはできなかった。
「貴様の方こそ、そこで頭を冷やしておけ。見境もなく、二度と不埒なことをせぬようにな!」
そう言い放って、流石に走り出しはしないものの逃げるようにこの場を後にすれば、残ったのはユギ一人だ。
―― ピチャリ…
再び水面が静かに落ち着くのに時間は大して必要ではなく。
その水面を見つめていたユギは、ククッと苦笑を浮かべながら呟いた。
「不埒ときたか…本当に、判ってないやつだな。でも、俺はもう気がついたぜ、セト。お前は俺のものだ」



走って戻りたいのを必死にこらえて神殿の隣にある宿坊に戻ると、
「セト様? 何かありましたか?」
流石にいつもとは違う様子のせいか、守衛の者が心配気に声をかける。
しかし、
「…何でもない。今宵はもう休む」
だから ―― 特にユギが来ても入れさせるなと言いたいところだったが、流石にそれを口に出すには気恥ずかしくて。不自然と思われても構わずに自室に戻っていた。
神官達が住まう宿坊には鍵などというものはない。もともと修行の一環でもあるため盗まれて困るような私物は置いていないし、そもそもセトにそんなものは始めから皆無と言っていい。
唯一になりそうなのが先ほどユギにもらった竜の置物だが、あれは禊場にそのまま置いてきてしまっていた。流石に今さら取りに戻る気にはなれないところだ。
「おのれ、ユギのやつ。よりによってあのような戯言を…」
早くに母とも死別し、スキンシップといったものには皆無に近いセトであるが、あれがどういう行為なのかくらいは一応理解はしている。
更に、自分がそう言った目で見られることもあるということも知っており、同性同士でありながらという性癖の者もいるということも知らないわけではなかった。
だが、
(まだ子供だと思っていたが…とんだ恥知らずめっ!)
まさかユギまでもがそう言った目で自分を見ているとは思わなかったので、どこか裏切られたような気がするのは否めない。
だがそう思いながらも、他の人間であればその性癖 ―― 特に、自分を対象にともなれば嫌悪を抱くところでありながら、何故かユギに対してはそう言った感情は感じられなかった。
ただ子供だとばかり思っていたのがいつの間にか成長していたということを思い知らされた寂寥感というか、意外性というか。そんなことの方ばかりが気になって。
そのせいか、腹立しさに油断していたのは仕方がなかった。
「全く、あの王子も油断も隙もねぇな。まぁ3年もたてば色気付きもするってヤツか?」
「 ―― !?」
不意に聞こえてきた低い男の声に、セトは無意識に身構えながら、声の方を向いた。
この日、月は新月でもあり、夜の更けたこの時間では揺らめく篝火の灯りだけが頼りなほどの暗闇に覆われている。
しかし、その声の方向は更に闇を濃くしたような淀みさえ感じて、セトは無意識ながらもゾッとする寒気を感じていた。
「…何者だ?」
「つれねぇな。3年のうちに、俺のことも忘れたか?」
そう苦笑しながら、まるで闇が姿を整えるかのようにユラリと蠢き、ゆっくりと人の形を現していく。
闇に浮かぶ白い髪。大きく顔に入った傷跡。
それは、確かに見覚えがあって ――
「貴様は…まさか…」
「久しぶりだな、セト。しばらく見ないうちに、一段と美人になったな」
そう言って窓から忍び込んだバクラは、3年前とは比べようもないほどの邪気のこもった笑みでセトを見つめていた。






自覚 08 /  自覚 10


初出:2008.06.01.