Resurrection 01


すぐ側にいる気配はするのに
どんなに手を伸ばしても、決して届かない。
果てしなく孤高で、限りなく美しい ―― 蒼穹の瞳。



「若、どこへ行かれます!」
灯りの落された部屋の中、ヘンリー・ユギ・チューダーは自分を呼ぶ聞き覚えのある声に苦笑を浮かべて立ち止まった。
「サイモンか。流石は赤薔薇の賢者。よくオレが抜け出すのに気が付いたな」
月明かりを背にしたヘンリーは、装飾の施された窓辺に立てひざで腰を下ろしていた。
その服装は、とても王室の血を引く貴族のものとは思えず、市井の少年そのものである。
ただニヤリと意味深な笑みを浮かべているその紅玉の瞳だけが、ただの少年でないことを語っていた。
「ここのところ、珍しく大人しゅうされておられましたからな。そろそろ退屈の虫が目を覚ます頃と見張っておりました」
「期待に沿えて光栄だ」
「このような期待にはお応え頂かぬ方が老臣には光栄でございますぞ」
目付け役ともいえる老臣サイモン・マクムーランがこれ見よがしに大きくため息をつくと、苦笑を浮かべながらもヘンリーはもう片方の足を窓枠にかけた。
「今宵は万聖節の前夜祭。イングランドに戻ってからは初めてのイベントだ。たまにはハメも外したくなると言うもんだゼ」
そういうとヒラリと身を翻し、窓の外へと飛び出していく。
「若、お戻りくださいませ!」
サイモンが窓についた頃には、既にヘンリーの姿は中庭を駆け抜け、屋敷を巡る外壁へと向かっていた。
そして、
「心配するな。朝までには戻る」
そう言うや否や、軽々と外壁を飛び越えると、もはやサイモンにヘンリーの姿は見つけることは不可能であった。
「全く、困った若君じゃ。ヨークの刺客が潜んでおるやもしれぬというのに…」
そう口では困ったと言いながら、サイモンの表情にはどこか誇らしげなすがすがしさがあった。
サイモンが仕えるヘンリー・ユギ・チューダーは、今となっては赤薔薇ランカスターの血を引く唯一の男子である。
敵対するヨーク家の手を逃れ幼くしてフランスに亡命していたが、つい先日この生誕の地イングランドに帰郷した。
勿論その理由はこの長きに渡る「薔薇戦争」を終結するためであり、ウェールズの民はヘンリーを「神さえを使役する王」と讃えていた。
しかし、肝心のヘンリーは ――
「どうやら、また逃げられたようですね」
仕方がないと諦めながらも窓を閉めたサイモンの下へ、優しげな女性の声が届いた。
「これは奥様…」
クスクスと微笑み声さえ聞こえてきそうな口調のその人は、ヘンリーの生母マーガレットである。
「ヘンリーなら心配しなくても大丈夫でしょう。一介の刺客になど手に負える子ではありませんわ」
苛烈な性格のヘンリーと同じ血とは思えぬほど、マーガレットはほんわかとした、いかにも母のイメージそのものである。
しかし、
「ですが奥様、ヨーク家では近頃、『薔薇十字団』などという精鋭を組織しておると聞いております。油断はなりません」
この母子に長年仕えてきたサイモンにしてみれば、確かに油断は出来ない。
現国王であるヨーク家のリチャード3世は、恐ろしく猜疑心が強い。
当然、ランカスターの血を引くヘンリーを警戒しているのは間違いがなく、ここ数日は目障りな監視の目がうろついていたのも事実である。
だからこそ、ヘンリー自身も大人しく屋敷に篭っていたのだが ――
「あの子は、守りに徹する子ではありませんもの。戦ってこそのゲームでしょう?」
「マーガレット様、戦はゲームではありませんぞ」
「ヘンリーにとっては同じですよ」
まるで春のそよ風のようにほんわかとした口調は、内容の苛烈さを微塵も表には現さない。
ランカスター家の血筋と言っても血の濃さから言えばマーガレット自身のほうがヘンリーより上である。
それゆえに一時はマーガレットを女帝と押す声もあったのだが、それに彼女自身が応えることは無かった。
それどころか、彼女はヘンリーに王権をという気も実は無い。
「皆、ヘンリーに王位をと言いますが、王位を得ることがあの子の幸せとは私には思えません。あの子には愛する人と心穏やかな家庭を築いてもらえればそれでよいのです」
「マーガレット様…」
彼女の夫はヨーク家との戦でヘンリーが生まれる前に亡くなっている。
それゆえに、我が子の真の幸せを願わずにはいられない母であった。



しかし、運命はこの日、大きく姿を変えようとしていた ―― 。






Resurrection 00 / Resurrection 02


初出:2003.11.05.
改訂:2006.07.19.

Atelier Black-White