Declaration 06


偵察と称してウォーリック伯の息子ギルバートが出撃したということがクリスの元に知らされたのは、既に引き戻す時間もないと思われる頃だった。
「誰がそのようなことを許可した!」
執務室に詰めていたクリスがテーブルを叩いて激怒を表す。しかし、
「まぁよいではありませんの。余程の自信がおありなのでしょう? ここは高見の見物とさせていただいては?」
落ち着き払って午後のティータイムを満喫しているイシュタルに、クリスの怒りが向けられる。
「しかし ―― !」
「元々、ウォーリック伯爵家の戦力は貴方の戦略に入ってはいませんでしょう? ならば、無駄な戦力です。せいぜい我々で有効利用させてもらうのがよろしいのではありません? そう ―― 政略的に、ね」
ニコっと微笑む姿は、正に策士の顔である。
それにすぐさま気が付いたクリスは、このことを報告に来た部下を下げると椅子に腰を降ろして腕を組んだ。
「イシュタル、貴様…謀ったな?」
目の前のイシュタルは、ただ優雅にカップに口をつけている。
「あら、私は何も。ただ、ギルバート様が退屈だとおっしゃられておりましたので、お散歩でもされてはいかがと申し上げただけですわ」
「ほう、何処へだ?」
「さぁ、何処でしょうね」
くすくすと楽しそうに微笑むイシュタルに、流石のクリスもそれ以上の言葉はなかった。
ようやく春となり、チューダー軍が進撃を開始したとの報告は既に王宮にも届いている。
しかし、宣戦布告から既に3ヶ月。
緊張感を持続できない貴族連中に、その報告は重要には思われず、まるで他の国の出来事のような気配すらある。
唯一それに正しく反応できるのがクリスの率いる薔薇十字団であるが、政治的には王宮内にも敵を抱えている。
特に王妃の父でもある宰相ウォーリック伯には眼の敵にされている節があった。
戦場に出てクリスが戦死すれば問題はないが、勝って武勲を上げたりすれば国王の寵愛は更に王妃からクリスに移ってしまう ―― 。
そう邪推しているのは目に見えている。
そのため一時は出された薔薇十字団への出撃許可は宰相の命で保留となり、おかげでクリスはいまだ王宮から出ることすらままならぬ状態であった。
しかし、
「まさか宰相閣下も、大事な跡取息子の命が危ないとなれば、貴方を出さない訳には参りませんわ。そして戦場に出てしまえばこちらのもの。なんとでも言いようはありますもの。そのまま決戦にもつれこませれば宜しいでしょう?」
「つまり、宰相のバカ息子は囮というわけか。だが、助けに行く前に殺されるということもあるぞ」
下手をすれば、見殺しにしたと言われかねない。
言われることには何の痛痒も感じないが、それで更にこちらの行動に制約を付けられるのは避けたいところである。
だがそれも、国王軍最高の策士であるイシュタルにはぬかりもない。
「ご心配なく。キースとペガサスをつけております。あの二人がいれば、少なくとも貴方が戦場につくまでは持ちこたえますわ」
薔薇十字団のNo.3であるペガサスはともかく、更にその下であるキースに至っては、新たな総帥であるクリスをよく思ってはいない。
確かに『青眼の白龍』という幻の聖獣をしもべに持つクリスであるが、元を正せばイシュタルが何処からか連れてきた新参者である。
同じく実力のみで十字団に入ったキースにしてみれば面白くないのは当然のこと。
つまりイシュタルは、この一戦によって、宰相だけでなく薔薇十字団内の不穏分子も黙らせてしまえというのである。
(フン…相変わらずの策士だな)
無論、そのことに大してはクリスに異論はない。むしろ清々するといった方が正しいくらいである。
数だけを比較すれば国王軍の軍容はチューダー軍をはるかに上回る。だが、そこには決定的な人の和というものがかけていた。尤も、クリス自身、信じるものは己だけという性格であるから、それを繕うという気は欠片もない。それゆえに薔薇十字団での少数精鋭 ―― 短期決戦にかけるところが大きくなる。
そう、この戦いで最も肝心なところ。
それは、
「ご心配なく。まだチューダー軍の総帥、ヘンリー殿は出撃されておりませんわ」
「当然だ。ヤツは俺が倒す。他の者の手になどかけさせぬわ」
そう突き放すクリスの表情に、ほんの一瞬だけなんともいえぬ色が浮かぶのを、イシュタルは見逃さなかった。



策略を練ることは嫌いではないが、どうせならもっと強力な敵を相手に ―― そう考えれば、つい忌々しい顔が脳裏にちらついてくる。
(まぁ…確かに。ヤツならば相手に不足はなかろうな)
実際に逢ったのは2度。そして、話をしたのは1度きり。
しかしその出会いはクリスに言わせれば最悪で ―― そのくせ忘れることができなかった。
果てしなく自信に満ちた紅い瞳は、まるで何もかも知っているというような既視感を与え続け、真直ぐにクリスを見つめて離さない。
そしてクリスも。
はるか昔、何か重大な約束をしておきながら ―― それが何かを思い出せないような焦燥と苛立ちが纏わりついて離れなかった。
勿論、それが単なる気の迷いだということは判っている。
念のため、可能な限り調べたにも関わらず自分とヘンリーの間にはなんら接点は見受けられず ―― 前世だなどという非ィ現実的な誤魔化しは一切信用していないクリスであった。
それでも、あの男に名前を呼ばれただけで何故こんなにも心が苦しいのか ―― ?
(ええい、忌々しい、ランカスターの亡霊め。この俺が自ら止めを刺してくれるわ)
だが ―― 今、クリスがいるのは安穏と政争に明け暮れる王宮の一画。
その腹立だしさは既に限界の一歩手前まで来ていた。



「ロ、ローゼンクロイツ卿!」
イシュタルとの会話から半時も立たぬうちに、クリスは宰相の執務室に呼び出されていた。
「すぐに戦の準備をせよ。出撃を命じる!」
見ていて滑稽なほどに慌てる様に、戦況の悪化は手に取るようである。
しかも今まで散々邪魔をしてきた相手に縋るとは ―― 哀れを通り越して醜悪さえ感じる心境であった。
だから、
「すぐにと申されても…準備には時間がかかる。明日の朝一番に出撃したいと思うが、それでよろしいか?」
「あ、明日だと? ならぬ! 今すぐじゃ!」
「そのような無理を言われても困りますな」
慌てふためく宰相とは打って変わり、クリスの態度は落ち着き払い、まるで他人事のようである。
実際、宰相の跡取りであるギルバートが殺されようとも、クリスには一切関係のないことである。
寧ろ才能もなしに家柄の良し悪しだけを判断基準に持つ貴族など、一人でも消えてくれた方が清々すると言うもの。
だが、ここで恩を売っておくのは ―― ある意味、今後の益にならぬともいえない。
「ええい、何とかならぬのか! そなた、薔薇十字団の総帥であろう!」
恐らく、宰相の下に報告された戦況は最悪なのであろう。
聞けば、チューダー側は在野では名高い傭兵のジョーノを先陣として出撃させているらしい。
実際に剣を交えたことはないが、戦で生計を立てているという以上、腕にはそれなりのものがあるはずである。
少なくとも、遊び半分の貴族の子弟よりはマシなはず。
(まぁ良いか。イブリースの肩慣らし程度にはなるだろう)
そこまで計算の上で、クリスは宰相に告げた。
「そうですな。我がしもべ、『青眼の白龍』の能力(ちから)を持ってすれば ―― 戦況など、いくらでも変えて見せますが?」
そう断言する姿は、まさに戦の守護神のように気高く麗しかった。






Declaration 05 / Declaration 07


初出:2003.12.10.
改訂:2014.08.30.

Silverry moon light