Pledge 02


クリスが連れてこられたのは、明らかに他とは一線を画するつくりの天幕で、ここがチューダー軍の中枢であることは手に取るようにわかっていた。
となれば、ここにいるのは間違いもなく ――
「待ってたぜ、セトv」
満面の笑みで出迎えたヘンリーが、毅然と佇むクリスの手を取る。
「ごめんな、痛かっただろ? すぐに外すから」
そういって自由を奪う枷を外すと、ヘンリーはうっすらと残った手首の痕に唇を寄せた。
「な、何をっ…」
離せ ―― といいかけて、クリスは一切の拒絶を封じ込めた。
己は敗者であるから ―― 勝者の言いなりになるのは道理である。
例えそれがどんな屈辱であっても、拒む権利は最早ない。
クリスにとって「負ける」ということはイコール「死」であった。
だからあの時 ―― ファイブ・ゴッド・ドラゴンの射程に捕らえられたと確信したとき、あえて逃げようとは思わなかった。
寧ろ、カードの守護獣に殺されるなら本望である。それが例え己を支配し続けた男の持つカードであっても。
だが ―― 己の代わりに身を晒したのは半身ともいえるしもべで、そのしもべが己の生を望むのなら ―― 死ぬことは決して許されないと気が付いた。
自分が死ねばあの誇り高い聖獣は自由になれるのに、その身を挺してまで主人として己を守るというならば ―― 自分もまたあの半身のために生きることに否はない。
どんな屈辱でも受けてやろう。自分が生きることをあの聖獣が望む限りは ―― 。
「セト…どうした?」
いつもなら真っ赤になりつつも手を振り払って剣を振りかざしてくるクリスが、全く抵抗しないことにヘンリーは驚いていた。
抵抗はしない。だが、その目は決して死んではいなかった。
敗者は勝者に従う ―― それはクリスが己にも定めている不文律。
だが、決して追従はしない。
その心まで屈することは孤高な佳人にはできぬ相談であるから。
(そう、その眼だ。この蒼が輝く限り、オレも戦える)
態度は従順を装っても心は決して屈しない。
その孤高さも苛烈さも愛しくてたまらないと思うのは ―― もはや囚われているのがどちらの方かなど考える気にもならない。
そして口惜しいかな、今のクリスの心の大半を占めているものが何であるか ―― それに気付かないヘンリーでもなかった。
「アイツが心配なんだろう? 判ってるぜ、こっちに来いよ」
よくこんな細い腕で剣を振るっていたものだと思いながら、ヘンリーはクリスの手を取って天幕の裏へと誘った。
そこにはクリスの半身とも言える聖獣がいつもより遥かに小さな姿で蹲っていた。



「イブリース!」
真実の名を呼ぶと、その聖獣はゆっくりと鎌首を持ち上げ、愛しい主に向かって声を上げる。
「…キュ…ゥルル…」
それが自分を心配するなと、むしろ主であるクリスの身を案じての声であることは、すっかり外野に押しやられたヘンリーにも痛いくらいにわかってしまう。
口惜しいが、今のクリスには青眼のことしか眼に入っていないのは判っていたから。
「セト、不本意かもしれないが、青眼をカードに戻せないか? 『収縮』の効果で体力の消耗は抑えられるが、これじゃあ傷ついた魂の修復までは無理なんだ」
『青眼の白龍』は唯一ファイブ・ゴッド・ドラゴンと張り合うことができる光属性の聖獣。しかし、クリスを守ってその攻撃を一身に受けた青眼のダメージは計り知れず、その場で消滅してもおかしくはなかったはず。
それを救ったのはクリスが己の命と引き換えに出した「命の綱」であり、更にヘンリーが召還した「ホーリーエルフの祝福」であった。
その後、クリスは敗軍の将として軟禁され、『青眼の白龍』とは隔離を余儀なくされた。
無論、その強大すぎる力を危惧する声は高かったが、ヘンリーは決して『青眼の白龍』を消滅させることを良しとはしなかった。
『青眼の白龍』は、クリスの半身だから。
それを奪うことは、例え勝者といえども ―― 誰にも許されることではないから。
そして『青眼の白龍』もまた、例えクリスと離されても、カードに戻ろうとはしなかったから ―― 。
「イブリース…もういい。カードに戻って傷を癒せ。それが…俺の望みだ」
「キュ…ゥ…」
「必ず呼び戻す。だから…今は戻って傷を癒してくれ」
そっとその額に手を当てると、忠実な僕は小さく声を上げて主を見上げた。
そして差し伸ばされた腕に薄らと戒めの痕を見つけると、鎌首を持ち上げてヘンリーを睨みつける。
その意図に気が付いたヘンリーは、苦笑交じりに呟いた
「判ってるって。もう、クリスを傷つけるようなことはしない。お前が戻るまで俺が守って見せるから」
尤も、『青眼の白龍』が戻ってきてもクリスを手放すつもりもないが。
その言外の意志に気が付いたのか、クリスは真っ赤になって反論した。
「な…貴様などに守られる俺ではないわ!」
「照れるなって、セトv。もう離さないって言ったろ?」
「知るか、そんな事! イブリース、早く傷を治して帰ってこい。俺の隣に立つのはお前だけだ」
「あ〜それはないだろ、セト! じゃあ、俺はお前を抱き上げて立ってやる!」
「恥かしいことを言うな!」
「恥かしいことなんてないだろ? 俺は片時もお前を離したくないんだから!」
とすっかり痴話喧嘩になりつつある二人を見守りながら、やがてイブリースはふっと微笑んだように一声鳴いて、そのまま静かにカードに戻って行った。






Pledge 01 / Pledge 03


初出:2004.01.21.
改訂:2014.08.30.

Studio Blue Moon