First Blush 02


「ふぅ…」
気だるい身体を何とか湯船に浸らせると、自然に甘いため息が漏れて。
クリスはそのまま肩まで身を沈めると、そっと形のよい頭を仰向けに縁際にもたれさせた。
「全く…あのバカ王め。散々弄びおって…」
あられもないところに残る鈍痛と違和感と。
そして ―― 何よりも忌々しいのは、ほどよい熱さの湯で温まった肌に浮かぶ朱色の所有印。
『お前ってば…どこもかしこも性感帯だよな』
そんなことを言って散々付けられたのだが ―― それを抵抗できなかった自分にまで腹立だしくなってくる。
敗残の身に、逆らうことは許されないからとか。
この国では、忌々しくもヤツが最高位の国王であるから ―― とか。
言い訳ならそれこそ山のようにできるだろうが、そんな自分をも欺くようなことは今更できず。
この身があの熱い腕には抗えないことは ―― 本当に忌々しくても、事実でもある。
勿論そんなことは、足の爪の先ほども認めたくないとは思っているが。
「大体あの男は…仮にも国王だと言うことを少しは自覚すべきなのだ」
ヘンリーの母方のボーフォード家は、名門ランカスター家の分家である。
だがそれゆえに、後の火種になることを恐れた何代か前の国王によって、王位継承の地位は剥奪された家系であった。
そのため、父方のチューダー家もウェールズ王家の血筋ではあるものの、本来であればヘンリーには英国王を名乗ることはできないはずである。
それを払拭するためにも正統な英国皇室の血を引くヨーク家の姫君が必要だったわけで、クリスはそのためのダミーでしかないのが事実というところだ。
だが、
「大体、俺のどこが『姫』だというのだ! どいつもこいつも、節穴としか思えんわっ!」
―― バシャンっ!
まだ『養子』というのならとにかくも、『養女』などといわれて、黙っておれるか!と。
自分の外見を全く理解していないクリスにとっては腹立だしいことこの上ない。
大体、「簒奪」という言葉を使ってしまえば、そんな政略の小細工など一切必要のないものだ。
世襲などという受動的な継承ではないぶん、簒奪するほうがよっぽどその力が試されるというものであるし。
そもそも「正統」ということだけで王位が決まるのなら ―― この世に王位をかけた争いなど、存在しなくなるものである。
だが ―― それだけにヘンリーの政治基盤が弱いのはどうしても否めないところで。
だからこそ、有力な大貴族を味方に引き入れる必要があるはずだということは ―― 政略に聡いクリスには良くわかっているところだった。
手っ取り早く言えば ―― 政略結婚。
さっさとどこぞの大貴族の令嬢を王妃として迎え、世継ぎを作ればいいのだ ―― と。
子も産めぬ自分を抱いている暇があったら、もっと王としての責を果たせ ―― と。
「…そうだ、俺などに構う暇があれば…相応しい王妃を迎えればよいのだ」
いつもなら揺るぐことを知らない蒼穹をふと閉じれば、その縁からは湯とは温度の違う雫が滑り落ち、ポツンと小さな音を立てて混じっていく。
それが更に静けさを引き立てるかのように思えたそのとき ――
「まぁ、クリスったら…マリッジブルーですか?」
不意に聞こえてきた邪悪な魔女の声に、クリスは思いっきり沈みかかりそうになり、
「だ、誰が、マリッジブルーだと!」
「あら、お元気そうでなによりです。さ、そろそろお着替えをなさいませ。もう時間もありませんわ」
わなわなと怒りで震えるクリスの様子になど露ほども気に留めず、ニッコリと立っているのは ―― 英国きっての女魔導師イシュタル。
表向きは慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、その脳裏にめぐらせている戦略はあの性格が極悪に悪いと思えるヘンリーでさえ及ばないところだ。
「キュゥー…グルル…」
仕方がなくクリスがすっくと湯から上がれば、すぐさま最愛のしもべである青眼がバスローブを持ってくる。
本来なら見上げるほどの大きさを誇る聖なる竜だが、ヘンリーによる収縮の枷のより今はクリスの肩や膝に乗れるほどのミニチュア版である。
「すまぬな、イブリース」
「グゥ…グルルル…」
今となってはイブリースにだけ見せる裏表のない微笑でローブを受け取ると、クリスはその裸身を包んでイシュタルを見た。
「時間がないとはどういうことだ?」
「そのままの意味ですわ、クリス」
「…また、なにやら企んでいるな、貴様…」
「まぁ、企むなんて人聞きの悪い。この良き日にそのようなことを仰せになってはいけませんわ」
コロコロと華麗に微笑むイシュタルは ―― こういうときが一番何かを企んでいると、長年の付き合いで熟知しているクリスである。
だから、
「何が良き日だ。俺には関係あるまい」
そういってさっさと着替えようとバスルームから続きになっているパウダールームへと向かえば、
「そんなことはありませんわ。だって…葬儀は一人でできても、婚儀は二人揃わなくてはできませんから」
思いっきりぶち巻かされた爆弾発言に、クリスは颯爽とした歩みを止めて振り向いた。
「 ―― 今、なんと言った?」
聞きたくはない。だが聞かずにはいられないこともあるもので、
「本日正午より、イングランド国王ヘンリー・ユギ・チューダーと、クリスティナ・セト・ローゼンクロイツ・オブ・ヨーク様とのご成婚式が行われますのよ」
クリスティナという名前は、ヨーク家の養女としてのクリスの名前である。






First Blush 01 / First Blush 03


初出:2005.04.30.
改訂:2014.08.30.

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