First Blush 04


「俺は、絶対に結婚式など挙げんぞっ!」
御前会議を済ませて後宮の湯殿に足を向けたヘンリーの耳に一番に聞こえてきたのは、そんなクリスの叫びだった。
「大体、男同士で結婚など、できるわけもなかろうがっ!」
「まぁ、今更、何を仰います? クリスティナ姫様ともあろうお方が」
「誰が姫だっ!」
「勿論、今、私の目の前におられます、貴方様ですわv」
折角湯浴みで汗を流したところだと言うのに、クリスは肩で息をつくほどの興奮気味で ―― 対するイシュタルは平然としたものである。
それが益々クリスの気を苛立だせているのだろうが、そんなことはお構いなしだ。
それよりも、
「とにかく、お時間がございません。早くお召し替えになってくださいませ」
「だから、そんなものは着ないと言っておるだろうがっ!」
「ではずっとそのままで? そんなことをされましたら…陛下と、助平心満載の狸どもを喜ばせるだけですわ」
「 ―― !」
見れば、クリスはまだ髪も濡れたままのバスローブ姿。
オーバーアクションで騒いでいたために、あわせた胸元が少し緩み、見事な脚線美も際どいほどに外気に触れている。
流石にイシュタルに言われて慌てて自らを抱きしめるように身を硬くするが、大した効果があるとは思えない。
実際に、
「確かにそういう格好は嬉しいが…他にヤツに見せるって言うのは頂けないな」
そう言うや否や、ヘンリーは自分のマントを解いてクリスにかけると、何を思ったのかそのまま抱きついてきた。
「な、何をっ…」
勿論すぐに振り解き、殴り倒そうとするところだが、
「この日を本当に待ち望んでたんだぜ、セト」
「 ―― っ」
まるで閨での睦言のように熱い吐息とともに切なく囁かれれば、その途端、呪文に囚われた姫君のように、クリスは頬を朱に染めて動けなくなった。
「俺だって、式なんかどうでもいいと思ってる。肝心なのは現実だからな」
「そ…ならばっ」
「でも、公にしておかないと、煩い連中もいるんだ。判るだろ?」
それは ―― 政略には聡いクリスである。ヘンリーの言うことも判らないわけではない。
だが、
「それならばっ! 俺などではなく、どこぞの貴族の娘を娶れ! その方がそもそも問題がないわっ!」
「それだって、結局は同じだろ? 正妃は一人だけなんだからな」
そう、正妃になれるのはどうあがいてもただ一人である。
そのため例えクリスではなく別の貴族の姫を迎えたとしても、選ばれなかった家系からは不満の声が上がることは目に見えていた。
結局は ―― 誰を娶っても多少なりの不満が上がるのは仕方のないことである。
それならば、最初から自分の望む者をと思うのも無理ないこととも思えたが ―― ヘンリーの場合、単に欲しいのはクリスだけ、と言うのが本音だろう。
当然、矢面に立たされるクリスには中傷や誹謗の対象となることは判っている。
だがそれでも欲しいのはクリスだけで ―― 守ってみせると誓いたいのだ。
「判ってるだろう、クリス。俺の望みはお前だけだ」
そう囁く赤い瞳は、いつもようなふざけた気配は微塵もない。
だが、
「…それならば、後宮に妾妃を迎えろ。俺に世継ぎは…」
「それも絶対にイヤだ」
政治基盤の弱いヘンリーとしては、これ以上、貴族を敵に回すのは得策ではない。だから、100歩譲って正妃に跡継ぎの望めぬクリスを置くことで貴族間の諍いを回避するとしても、それならば後宮に第二、第三といった后を迎え入れて跡継ぎをということは、この先何度でも持ち上がる話だろう。
しかし、それも、
「俺に愛してもいない女を抱けと? 冗談だろ。そんな暇があったら、お前を口説いているほうがずっといい」
そう言って両頬を包み込んで軽く口付けすれば、少し艶を含んだ蒼穹が呆れたように赤い瞳を見つめ返す。
「…この、色情狂が。国を預かる者が、色事に現を抜かして済むと思うか」
「国なんかどうでもいいんだ、俺は」
そうポツリと呟いた声は ―― 先ほどまでの熱がどこに行ってしまったのかと思えるほどに冷めていた。
「どうしてもお前がイヤだと言うのなら、いっそのこと国なんか放り出して、駆け落ちしたっていいんだぜ」
寧ろそうしたいくらいだと、闇をちらつかせた紅い瞳が本気でそう語っていることは、クリスには痛いほどに判っていた。
「幾ら国王になっても、お前が手に入らないなら、俺には全く意味がない。お前がいてくれるから、俺もここにいる。それだけだ」
コイツはそういう男なのだ。
己の望むもののためなら手段は選ばず、どんな困難もものともせずに手にいれる。
その一方で、それが手に入らないと判れば ―― いつ何時暴走するか判らないほどの危うさも持っている。
敢えて言えば、年端の行かぬ子供と同じ。
だがそれだけに、一度箍が外れればそれを抑えることのできるのは ―― この世にただ一人だけで。
「…馬鹿者。俺は己の責務も果たせんヤツと並び立つ気はない」
囚われてしまったのは、どちらも同じこと。
それならば ――
「5分で着替える。お前は外に出ていろ」
「クリス?」
「それとも何か? 貴様は、俺にこの格好を晒せとでも言う気か?」
「い、いや、そんなことはないぜ!」
途端に嬉しそうな表情を見せるヘンリーにはどこか釈然としないが、忍び寄っていた闇の気配が一瞬にして消え去ったのは言うまでもない。
そして、そんな二人を、イシュタルは愉しそうに見守っていた。






First Blush 03 / First Blush 05


初出:2007.06.24.
改訂:2014.08.30.

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