Instrument 04


「お待ちしていましたよ」
案内されて通された部屋に入ると、そこは贅を尽くしたきらびやかな装飾に彩られていた。
「あの、義父は…」
「ミスター海馬は忙しいですからね。先に初めて構わないと仰っていました」
そう言われて招かれれば、それに否といえる立場ではない。
瀬人は一瞬躊躇を見せたものの、すぐに威を奮うように男の後に続き、薦められた席に着いた。
「好き嫌いはありますか? 遠慮せずに仰って下さい」
「いえ、特には」
「そうですか。それは良いことです」
瀬人の正面に着いたのは、この屋敷の主である若い男。白いチャイナ服に長い黒髪。パッと見は女性にも見えそうな美貌の洗練された物腰であり、ビジネスマンというよりはモデルのような外見である。
だが、それが本当の姿でないことは瀬人でも重々承知していた。
勿論、表向きはとある商社の代表取締役。だがその実態は ―― 香港の裏社会を仕切るマフィアの幹部である。
「私のことは、コウと呼んでください。私も君の事は瀬人と名前で呼ばせて頂きましょう」
そういう相手の言葉に何と返事をするべきか考えあぐねていたが、どうやら先方は瀬人の答えを待つつもりもなかったようだ。
運ばれてきた料理を自ら取り分けると、まるで主賓に対するように瀬人の前に並べていった。
実際、商談がらみの食事会なら既に何度か同席したこともある。
だが決定権が瀬人にあるわけでもないため迂闊なことは言えないし、そもそもまだ14歳の瀬人を相手にしようとなどする者はいままでいなかったはずだ。
それにこの相手はあの押しの強い義父ですら苦手ならしく、昨夜の会談では社交辞令程度で終わっていたはずだった。
それが今朝になって急に話が進んだらしく、正式な契約については夕食を取りながらということになったとかで。
勿論そこに至るまでの経緯は瀬人には知らされず、剛三郎から言われたのは「先に相手をしていろ」とのことだけだった。
しかも実際に訪れてみれば ―― 寧ろこれでは瀬人の方が接待されているかのようだ。
流石に本場だけあって、円卓に並べられた料理は贅を尽くした中華料理である。
元々小食でもある瀬人だが、その香ばしい匂いには食欲もそそられるのは嘘ではない。
だが、
(何…だ?)
ほんの僅かではあるが、目の前に並べられた食材とは異なる香りが鼻につく。
甘ったるい、麝香にも似た香りで ――
「おや、食が進みませんか?」
不意に声をかけられて、瀬人はゾクリと身を震わせた。
「お口にあいませんか? ああ、日本とでは味付けが少々異なるのかもしれませんね」
「いえ、大丈夫です」
「そうですか? 夜は長いですから、食べておいた方がよろしいですよ」
そうニッコリと微笑まれても、落ち着くどころか益々ぞわぞわとした違和感が走る。
それを極力表には出さないようにと努めていたが、やがてその違和感は一瞬にして頂点に上り詰めた。
食欲など微塵も感じなかったが、ここまで薦められて手をつけないわけにもいかない。取り合えずスープくらいならと手を伸ばした瀬人だったが、
「本当に瀬人は綺麗ですね」
いつの間にか背後に立っていたコウは、瀬人の髪に口付けるようにして囁いた。
「ああ、やっぱり。これだけ近くで見ても、本当に綺麗な肌です」
「 ―― っ!」
スーッと背後から頬を撫でられて、ゾクリと背筋に嫌悪が走る。
そのあまりの気持ち悪さに手を振り払いたい衝動に駆られたが、相手は今回の商談の相手である。
何とか持ちこたえてはみたが、拒絶は隠しようがなかった。
だから、
「止めて…頂けませんか?」
「おや、こうされるのは嫌ですか?」
瀬人の拒絶など、どうやらコウには聞こえていないようで。益々その手を瀬人の肌に滑らせると、
「嫌だったら、振り払ってもいいんですよ?」
そうクスクスと耳元で囁いた。
その上、耳朶をねっとりと舐められて、
「やめっ…!?」
余りの嫌悪に席を立とうとして ―― グラリと視界が歪む。
(何っ?)
ドサッと倒れる音がして、目の前に床が近くなる。
その一方でコウの声は高い位置から降り注いでいる。
「本当に綺麗ですね、瀬人は。私は綺麗なものは大好きです」
身体は思うように動かず、だが、意識ははっきりしていた。
コウの話す声も聞こえているし、自分が床に倒れていることも判っている。
何とか椅子にでも掴まろうと手を伸ばしたが ―― その手はやんわりとコウに取られた。
そして、
「だからね。私は瀬人を汚す手伝いをすることにしたんです」
そう言われて抱き上げられても、瀬人には抵抗する術もなかった。






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初出:2007.05.13.
改訂:2014.09.06.

Paine